「大きくなったら何になりたいか?」と子供に聞く事。

  • 2022年1月20日
  • 2022年1月20日
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何かになる

「大きくなったら何になりたい?」

と、子供の頃は事あるごとに聞かれたし、

僕自身、それについてよく考えていた。

自分が親になった今、

誕生日の度に保育園で聞かれるからだろうが、

僕の子供も、「大きくなったら〇〇になりたい」と時々言う様になった。

子供に夢を与える事というのは悪い事では無いと思う。

しかし、生き方を単一な物にしてしまうというのは如何かと思うのである。

「大きくなったら何になりたいか?」

という問いは、「大きくなったら必ず何かになる」或いは、「何かにならなければならない

という前提条件を内包している。

つまり、たとえ子供が「大きくなったら仮面ライダーになりたい」と純朴に答えていたとしても、

そこには、大人や社会が押し付けようとしている、「何かになる事」というものに

無意識に答えようとしている事になる。

そして、「何かになる」と言った時に、それは大抵職業を表す事になる。

社会に期待されている生き方

とどのつまり、子供に「大きくなったら何になりたいの?」と問う社会は、

その子供が大人になった時に、何らかの職業という型にはまる事を期待していると

捉える事が出来る。

2つの疑問

そこに2つの疑問が生じる。

1つは、大人になったら必ず肩書きを持つ必要があるのか?という事である。

言い換えると、大人になったら、必ず一言で言い表せる「何か」にならないと

いけないのか?という事である。

もう1つは、その肩書きは職業である必要があるのか?という事である。

前者は、そんな事は不可能だ、と誰だって思うだろう。

「あなたは誰?」という質問に一言で答えられる人間は、

よっぽど偉大か、よっぽどちっぽけか、のいずれかだろう。

後者は、非常に残酷な一面を持っている。

つまり、この質問が、子供に対して、無意識に

「大きくなったら何か好きなものを見つけて、それを職業にしなければならない」

という固定観念を植え付けるのである。

社会人とは

実際は、子供でも、大人でも、我々は生まれながらに1人の「個」である。

子供であっても、生まれながらに社会の一員であり、「社会人」であるはずである。

しかしながら、日本人は子供の事を「社会人」とは呼ばず、仕事をする様になって初めて、

「社会人」と呼ぶ様になる。

おそらく、日本人社会は、働く前の人間をある種未熟な人間と捉えており、

働き始めて初めて「社会」の一員と認めるのであろう。

社会の一員では無い子供が、好きな事を仕事にして、社会の一員となる。

という夢、或いは幻想を持たせる事は子供にとっては酷である。

そもそも、仕事それ自体が生の目的で無い人間も存在し得るはずだからである。

「好きでも無い仕事をしているが、それは良い暮らしをするためだし、好きな趣味を

するためだ」と考えている人は、実際は多くいると思う。

自由である事

考えさせる事が決めつける事に繋がる時

しかし、「大きくなったら何になりたい?」

という質問には、この様な事を考える余地が残されていない。

適当な仕事をして、余暇に趣味のスポーツをたくさん満喫したい。

と言った人生が、全く念頭には無いのである。

そもそも、子供という存在は、小さいうちは未だ知識が乏しく未熟というだけで、

1人の尊重されるべき人間である事には変わりはないのである。

「何になりたいのか?」

等と言う事を自問させる事なく、1人の個として初めから認めるべきなのである。

「大きくなったら何になりたいの?」

と言う質問には、大人になったらダラダラと出来る事をやりながら

余暇に好きな事をやって暮らす人間は想定されていないし、

認められていないのである。

それと共に、仕事に人生の目的を見出せなかった人達を蔑ろに

してしまう恐ろしさがあるのである。

戯れかもしれないけれど

加えて、「大きくなったら」という言葉には、無意識に、

「今は何も出来ないけれど」という呪縛の様なものを感じさせる。

日本人の子供達は、ヨーロッパの子供たちに比べて社会に対する

意識が低い様な気がする。何故なら、自分たちの事を社会人であると

認識していないからである。

小さい頃から、もっと、その小さい人の感覚を尊重してあげるべきである。

「大きくなった何になりたいか、なんて(たわむ)れのような質問でしょ?そんなに真剣に考えてどうするの?」

と、思う方もいるかもしれない。

でも、そのように、「とるに足らない事」と考えられてしまう事自体がゆゆしき事態なのである。

日本人はちぐはぐなところがある。

例えば、教育1つとってもそうである。

子供には子供らしさがあるから、

と言って、絵も作文も自由に書きなさいと言う。

そのくせ、そうやって育てて来たくせに、大人に対しては突然、大人らしい文章や

態度を求めたりする。

教えなければ大人らしい振る舞いなんて出来っこない。

子供には子供らしさが大事だから、無理強いする事は無い。と言うのは間違っている。

最初から、個を尊重した上で、子供に対してだって社会人らしい振る舞いを

教えればいいのである。

職業は単なる人生の一部に過ぎない。

子供から大人になる。或いは、職業を得て、つまり、社会人になって初めて一人前の大人になる。

と言うのは少し馬鹿げているように思える。

働いていなくたって、社会の一員である。

子供だって社会の一員である。

それが、当たり前の世の中になってもいいのでは無いか?と思うのである。