もうすっかり解けてしまったが、この間、関東に大雪が降った。
2018年以来らしい。
その日は午前中から降り始めて夜まで降り続けていた。
僕の住んでいる地域は約7センチ程積もったらしい。
夕方には一面雪で、それでもまだしんしんと降り続けており、まるで雪国のようだった。
その日、子供達はいつも通り保育園に行っていたので、夕方に歩いて迎えに行った。
保育園の帰り道、子供の足だと2,30分はかかるだろう道のりをゆっくりと楽しそうに傘をさしながら歩いていた。
普段なら歩ききれないだろう道のりをきゃっきゃきゃっきゃと言いながら、楽しげに難なく歩いていた。
子供達にとっては殆ど初めてに近い雪で、雪だるまというものの作り方も分からず、
教えてあげると、嬉々として降りたてのふかふかとした雪を小さな手で一生懸命丸めていた。
翌日、敷地の前の道の雪を一人で掻いていると、隣家のお兄さんが手伝ってくれた。
その道は北側に面していて、何もしなければ何日も雪が残ってしまうような小さな道で、
それにもかかわらず人も車も良く通るので、降り積もった翌日だというのに既にスケートリンクのようにつるつるに凍ってしまっていた。
高校生たちは自然にスケートをするように滑りながら通っていき、車はそろりそろりと恐る恐る通っていった。
必死で雪かきをしていても直ぐに人や車が通るため、邪魔にならないようにその都度手を止めるので中々捗らなかった。
そんな中、隣のお兄さんが現れて、融雪剤を撒き、さらには自分の場所でもないのに雪かきを手伝ってくれた。
そのうち近所の人が、ここは溶けにくいから、と集まってくれて、カチカチに凍った道路を砕くようにして雪かきをしてくれた。
その間も、道を通る人は時々、「ありがとう」「ご苦労様です」と声を掛けてくれた。
凍てつくような寒さの中で人の暖かさを感じた日だった。
雪掻きが終わり、隣家のお兄さんはこう言った。
「子供の時は、雪の日が、ただただ楽しかったけれど、大人になると大変なもんだよね」
同じ小さな道の続きの中でも、人の住んでいない土地の前の道などは凍ったままでしばらく放置されてしまっていた。
数日後、すっかりと雪の溶けた道を眺めながら、
たった数日のために何時間もかけて雪掻きをした僕らの行為は報われたのだろうか?と考えた。
もし僕らが雪掻きをしなかったら、この数日の間にどれだけの人が道で転んで怪我をしただろうか?
もし僕らが雪掻きをしなかったら、この数日の間に、車の事故が起こってしまっただろうか?
そんな事は決して分からない。でも、僕らが雪掻きをしている間、その道を通る人達の感謝の顔は忘れられない。
そして、自分の家の前でも無いのに手伝ってくれた近所の人の優しさも決して忘れないだろう。
子供の頃は、ただただ雪の日が楽しかった。
でも、大人になった今も、やっぱり雪の日は楽しかった。